私の競馬はチョット新しい

-第55回-
漫画家甲斐谷忍さん


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オグリキャップの有馬記念で競馬と出会う

市丸: それでは、よろしくお願いします。先生は鹿児島のご出身で、鹿児島大学の工学部を出られたそうですね。

甲斐谷: 「これからはコンピューターの時代だ!」と電子工学科に行っていました。

市丸: 大学に進まれる以前から興味をお持ちで?

甲斐谷: パソコンは中学のころから使っていましたし、わりと得意でしたから、そういう分野に進もうとあまり深く考えないで進みました。

市丸: 競馬ファンには、学生時代に競馬に出会った方も多いと思いますが鹿児島というと馬産はありますけれど、競馬とは縁の薄い土地柄ですよね。

甲斐谷: 学生のときに、世間で言われる「競馬ブーム」が起きましたが、ぼくらのまわりには全然なくて、東京の大学へ行った友人が帰省してきたときに話を耳にするくらいでした。

市丸: 漫画のほうはいかがでしたか?

甲斐谷: 漫画も描いてはいませんでした。大学に入るまではゲームのプログラマーなどをやってみたいと思っていたのですが、大学で4年間勉強していくうちに「こういう仕事は向いてないな」と思ったんです。それで、卒業後は製紙メーカーのプラント設計などをする仕事に就きました。その時点でも漫画は考えていませんでしたね。


市丸: では、どのようなきっかけだったのでしょう?

甲斐谷: サラリーマンになったらなったで、今度は「サラリーマンは向いてないな」と思って(笑)。

市丸: ええっ!?(笑)それで今度は漫画家を目指そうと?

甲斐谷: ちょうどそのころ青年漫画誌の週刊化が進んだ時期だったんですね。青年誌に勢いがあって、漫画家が足りない状況だったんです。それで「今なら簡単に漫画家になれるだろう」と、漫画家を目指しました。

市丸: それまでも趣味では漫画を描かれていたのですか?

甲斐谷: 漫画のようなアプローチで描くことはなかったです。落書きとかは好きでしたし、美術の成績も良かったですけれど、その程度でしたね。

市丸: 漫画家を目指すと決められて、会社を辞められたのでしょうか。

甲斐谷: 自分にどれだけ力があるかわかりませんでしたから、最初は会社に内緒で新人賞に応募していました。それで3つめの賞をいただいたときに会社にバレてしまったんです。ただ、そのときに「これだけ賞を取ったのだから頑張れば?」と逆に応援して、送り出されるような形でした。

市丸: いきなり新人賞を3つも! 凄いですよね。競馬と出会われたのもこの時期でしたか?

甲斐谷: そうですね。会社では富山に配属されたのですが、東京の大学を出て来る人も多かったんです。それで、年末年始に帰省しない人たちは独身寮で年を越すわけですが、そのときにはじめて、オグリキャップの引退レースを見たんですよ。

市丸: あの有馬記念ですか!

甲斐谷: それまで、テレビをつけたらたまたま競馬中継をやっていたことはありましたが、あのときは、有馬記念の以前からかなり特集が組まれていたんですね。それで、さすがにオグリキャップについての知識はついていました。そんな中、みんなでオグリキャップの引退レースを食堂のテレビで見ようという話になったんです。ああやって、みんなで競馬を見るというのは初めての体験でした。

市丸: 盛り上がりますよね。

甲斐谷: 先輩の一人が、オグリキャップが優勝したら泣いたんですよ。ぼくももらい泣きしそうになって、「競馬ってすごいな」と思いましたね。それからです、競馬をやりたいなと思ったのは。