-特別編-
中央競馬調教師友道康夫さん
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馬術部への入部で人生が一変
市丸:本日はお忙しいところありがとうございます。
友道:いえ、よろしくお願いします。
市丸:まずは競馬の世界に入られたきっかけからうかがいますが、初めて競馬に触れられたのはいつでしたか?
友道:大学(大阪府立大学)の馬術部に入って、競馬場にアルバイトへ行ったのが初めてでした。
市丸:ご家族などで競馬を楽しまれていた方などは・・・?
友道:いえ、うちの家族、親戚中、競馬にはまったく興味がなくて。動物が好きだったので、獣医になろうと思って獣医学部に進んだのですけれど、馬術部も自分から進んで入ったのではなくて、勧誘で半ば強引に引き摺りこまれるように入部したんです。
市丸:うわ、それがなければ今の先生はいなかったんですね。
友道:そうなんですよ、あれがなかったら獣医さんになっていたと思います。馬術部に入部してはじめて馬にさわって、乗って。競馬場も、部費を稼ぎにアルバイトで京都競馬場へ行ったのが初めてでした。
市丸:そのとき、なんのレースだったか覚えておられますか?
友道:アンバーシャダイが勝った春の天皇賞(83年)です。この年はちょうどミスターシービーが三冠をとって、競馬が盛り上がっていくところだったんですね。その後も、阪神競馬場で開催があるときは毎週のようにアルバイトに行っていました。最初は小動物の獣医になるつもりだったのが、馬の獣医になりたくなり、そのうちだんだん乗っているほうが楽しくなって、今に至っています。
市丸:その後、89年から浅見国一厩舎の厩務員から調教助手、96年には松田国英厩舎の調教助手になりましたが、浅見国一厩舎時代に思い出に残っている馬などは・・・。
友道:はじめて競馬の世界に入って「こういうものなんだな」というのを勉強した時期でしたね。馬はやっぱりヤマニンアビリティですね(93年京成杯3歳S優勝馬、現京王杯2歳S)。あの馬の乗り味はすごいと思いましたし、重賞も勝たせてもらって。
市丸:それから96年に松田国英厩舎に移られました。なにか変わったことなどはありましたか?
友道:浅見国一先生は伝統的な、1人あたり「2頭持ち」でしたが、松田国英先生は20頭の世話を13人でやるような海外的な厩舎運営を最初にされた方なので、ごろっと変わりましたね。当時、松田国英先生や森秀行先生が初めて20年くらい前に導入されて、全然違うな、と。今は、それぞれの良いと思うところを取り入れてやっているつもりです。
市丸:それから01年、38歳の若さで調教師免許を取得され、翌02年に厩舎を開業すると、初出走の翌日に初勝利を挙げられました。もう、とんとん拍子といった感じですね。
友道:引き継いだ馬で、インターマーベラスですね。いい競馬はできるかなと期待していましたが、すぐに勝つことができて良かったです。
市丸:それから05年に重賞初勝利(朝日チャレンジC、ワンモアチャッター)。順調に、すごいスピードで来られましたね。
友道:やっぱり人に恵まれていまして、松田国英先生のときから多くの馬主さんを紹介していただいたり、ノーザンファームをはじめとしていろいろな牧場ともつきあいができたりして・・・。当時から、牧場や馬主さんには恵まれて、ここまで来ることができました。