-第52回-
予備校講師林修さん
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「潜在的に競馬が好きになる」家庭に育つ
市丸:本日はお忙しい中、お時間を作っていただきありがとうございました。
林:競馬についてならどれだけでもお話しします、負けた額だけドラマがありますから(笑)。
市丸:ありがとうございます(笑)。まず、競馬との出会いからうかがいますが、いつごろから興味を持たれたのでしょう?
林:父が競馬好きで、家ではよくテレビ中継を見ていたんです。父の自慢の馬券というのもいくつかありまして、たとえばストロングエイトとニットウチドリの有馬記念(1973年)ですね。
市丸:あの万馬券になったレースですね(枠連1万3300円)。
林:あと、断然人気のハイセイコーが飛んで、タケホープ-イチフジイサミで決まったダービー(同年、枠連9560円は日本ダービー歴代最高配当)であるとか、そういった武勇伝を聞かされていましたので、潜在的に競馬が好きになる家だったんです。妹が生まれたときにも、親父が「キンセンオー、キンセンオー(70年日本経済新春杯など)」と言いながら病院に入ってきたと、母親が怒っていましたから。
市丸:ご自身でよく見られるようになったのは、いつごろからですか?
林:カツラギエースとベッドタイムのジャパンC(84年)も記憶にはありますが、本格的に見始めたのはオグリキャップが最初に勝った有馬記念(88年)あたりからだと思います。
市丸:大学卒業後に勤めていた銀行を辞められ、それからしばらく競馬で食いつないでいたそうですね。
林:2〜3ヶ月くらい、競馬だけやっていたことがありました。ただ、あれはもう地獄の生活で、月曜に競馬週刊誌やスポーツ紙を買うところから始まって……、今ほど情報も多くありませんでしたから、調教からなにから必死に情報を集めました。また、趣味でやる競馬と、生活のための競馬はまったく違うもので、やりたいレースを見送って、「これは堅い」というレース選んで単複1:2くらいの比率で買っていましたね。
市丸:これは堅いぞ、というレースを選んで買われて、それでプラスを計上されていたのですね。
林:そのときはプラスでしたね。そこまでやれば勝てるんだな、とも思いましたけれど、もう一日終わるとぐったりしていましたし、普通に働いているほうが楽だったと思います。
市丸:92年から東進ハイスクールで講師をされていますが、それからも競馬はずっと続けられて……。
林:ずっとやっていました。東進ハイスクールの南浦和校に採用されたのですが、ここが浦和競馬場に近かったんです。それで「2限と6限」のように授業の間隔が開いている日には、ぷらぷらと競馬場まで歩いていっていました。
市丸:住宅街の中にこつ然と現れる、独特な雰囲気の競馬場ですよね。
林:また食べ物がおいしいんですよね。それで1回行くと1.5キロくらい太って帰ってくるという(笑)。木曜日には毎週のように行っていたと思います。