私の競馬はチョット新しい

-第48回-
中央競馬調教師安田隆行さん


(1/6)
淀の市営住宅に当選して競馬と出会う

市丸:まずは、香港スプリント優勝おめでとうございます。

安田:ありがとうございます。

市丸:そのあたりのお話しは、また後ほどお聞きしたいと思います。最初にこの世界に入られたきっかけからうかがいますが、安田さんは特に競馬界とは関係のないご家庭で育たれたそうですね。

安田:はい、まったく馬の世界とは別のところから入ってきました。父も競馬好きというわけではなかったのですが、中学2年のときに淀の市営住宅に申し込んだら、たまたま当たったんです。今も京都競馬場の横に4階建てのアパートがありますけれど、そこが当たりました。それで、一度二人で競馬を見に行こうという話になったのです。

市丸:印象はいかがでしたか?

安田:1度行ったら「やみつき」になりましたね。それから毎週日曜になると、京都、阪神に連れて行ってもらいました。父も「馬券師」という感じではないですけれど、自分のお小遣いを使うくらいの範囲ですごく楽しんでいたと思います。

市丸:そうしているうちに、騎手を目指そうというお気持ちが生まれて……。

安田:あこがれましたね。それまでは、高校には行って、それからどこかで働くのかなあ、などと思っていたのですが、競馬に出会って180度転換しました。中学3年の秋くらいには、騎手になりたいという思いが強くなっていましたね。それで父親が京都競馬場に手紙を書いてくれたら「一度競馬場に来てください」と。それがきっかけです。


市丸:そして1972年、19歳でデビューされて、その年には新人賞を取られました。

安田:昭和47年ですね。12勝でしたが、おかげさまで新人賞をいただきました。

市丸:ただ、翌年に大けがをなさって……。

安田:次の年の3月でしたが、障害で落馬して脳挫傷を起こしてしまったんです。5日間意識不明だったらしく、病院の先生も「危ないから家族を呼んでくれ」と言うような状態だったのですが、運良く助かりました。

市丸:そのような大けがをされても、騎手を続けたいというお気持ちではいられたのですね。

安田:まだ騎手2年目でしたから。また、デビューの年は12勝でしたが、その年は落馬するまでに16勝していて、お世辞でも「天才」と言われたりしていましたから、やっぱり騎手で頑張ろうと思いました。

市丸:その大けがから半年ほどで復帰されました。

安田:復帰してからは、毎年10勝以上はしていたと思いますが、低迷が続きました。ただ昭和55年に、たまたま小倉で連続開催があって(京都競馬場スタンド改築のため)、そこで20勝できたんです。最初の開催で16勝、次の開催は落馬で1週乗れなかったのですが4勝して、リーディングのトップ近くまで行きました。また、翌年春の小倉でも10勝しまして、そのころから「小倉の安田」と言っていただけるようになりました。

市丸:その後も小倉では数多く騎乗されましたし、また、たいへん多くの勝ち星も挙げられました。

安田:騎乗週45週連続勝利(88年7月30日〜92年2月15日)ということもありましたし、小倉には馴染みがあるというか、第二のふるさとのような気がしますね。

市丸:騎手を引退されるとき、小倉の重賞は北九州記念だけ勝たれていなくて、調教師として勝ちますとおっしゃられました。

安田:昨年、トウカイミステリーで勝たせていただきました。人気はなかったですけれど、うまく展開もはまりました。もう胸が熱くなって、ヒートアップしていましたね(笑)。それまでパルスビートで2着はあったのですが(97年)、獲ると言った手前、どこかで獲らなくてはいけないと思っていましたし、また、それがトウカイテイオーのトウカイさんの馬で勝つことができて良かったです。