-第47回-
アナウンサー坂田博昭さん
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グリーンチャンネルでアナウンサーとしてデビュー
市丸:卒業後はJR東海に就職されていますが、競馬関係の道は考えられなかったのですか?
坂田:実はアナウンサーの試験を受けているんです。競馬の実況がやりたくて、フジテレビを受けて悪くないところまでは行きました。その後、地方の局から受けてみないかと声をかけてもいただきましたが、そのころには方向転換をして、普通の企業を考えていました。また、東京を離れるイメージもなかったので。ただ、JR東海に入って結局は名古屋へ行くことになったのですけれど。
市丸:特に鉄道もお好きだったのですか?
坂田:男の子なら半分くらいはそうでしょうが、子供のころから電車は好きでした。ただ、マニアというほどではありませんでしたね。ディズニーランドで学ばせていただき、サービス業に興味を持っていたんです。当時は銀行や証券など金融系が王道でしたが、そのあたりはまったく受けませんでした。
市丸:どのようなお仕事をされていたのですか?
坂田:ほぼ人事、労務です。ただ、研修期間中は新幹線で車掌もしましたし、駅員をしたこともありました。目が悪かったので運転手はできませんでしたが……。その後、助役になってからも、自分で乗るわけではありませんが、制服を着て現場に行っていましたね。
市丸:お忙しかったですか?
坂田:八重洲で務めていたころは、黄色い電車(総武線各駅停車)の始発に合わせて会社を出て秋葉原まで歩き、家に帰って少し寝てから出てくることもありました。ただ、現場にいたときは土日に休めないこともありましたが、それ以外は仕事が忙しい中でも競馬は続けていました。学生時代の4年間で、競馬を中心に一週間がまわるというサイクルが確立されていたんでしょうね。
市丸:そのJR東海を2000年の6月に退職されました。
坂田:なぜかと聞かれて今から思えば、自分の中に「なにかが降りてきた」としか言いようがありません。会社も良くしてくれていましたし、学んだことも沢山ありました。
市丸:別のお仕事に誘われたというわけでは……。
坂田:そうではなかったです。当時のラジオたんぱ、今のラジオNIKKEIのアナウンサー養成講座に通い、競馬の実況アナウンサーになりたいと思っていた時期もありましたが、辞めたときに次の仕事が決まっていたわけではないので「転職」ではないんですね。辞めた理由を「アナウンサーになるためか」と問われれば半分はイエス、半分はノーですが、「アナウンサーになれたからか」と問われれば、それはノーです。
市丸:翌年の1月からグリーンチャンネルの「中央競馬中継」のキャスターをされていますが、そこに至る経緯をお聞かせ願えますか?
坂田:アナウンサーへの道も含めて色々模索している中で、たまたまいまの自分の師匠に当たる松岡アナ(松岡俊道アナウンサー)と会う機会を持てました。当時は、なにかきっかけがあればなんでもしたいと思っていたので、図々しく電話をかけたんですね。面識もないのに。今でも松岡アナには「図々しいヤツだ」と言われますけれど(笑)、そのときは「こういう姿勢で目指したらいいよ」といったアドバイスをもらいました。その後、グリーンチャンネルのオーディションがあるので受けてみないか、という話をいただきました。
市丸:そして見事に合格されたわけですね。
坂田:本当にラッキーなことに、JR東海を辞めた翌年の1月からグリーンチャンネルのお仕事をさせていただけたので、仕事がない時期はほとんどなかったです。
市丸:アナウンサーとしての最初のお仕事が、グリーンチャンネルだったのですか?
坂田:そうなんです。勉強はしていましたけれど、なにかテレビに出ていたとか、こういった仕事をした経歴をまったく持たない人を採用してくれたわけですから、選んでくださった方は大冒険をされたということだと思います。そんな中で大勢のスタッフのみなさんに、もちろん師匠の松岡アナもそうですけれど、一からすべて教えていただきました。このあたりの経緯は細い糸のようなほんの僅かな繋がりの中で、つなぎ合わせようとしても二度と繋がらないような形で、あっという間に進んでいきましたね。
市丸:グリーンチャンネルで最初に拝見したとき、このお仕事が初めての方だとはまったく思いませんでした。
坂田:最初は清水祥子さんと一緒に番組をやらせていただいたのですが、たくさんのことを教えていただき、たいへん感謝しています。恐らくグリーンチャンネルの歴史上唯一、女性がメインの枠だったと思うのですが、自分はそれで良いと思っていましたし、ゼロからのスタートで、清水さんやスタッフの方から教えていただきながらやっていました。また、多くの失敗もしましたし、遅刻をしたこともありましたけれど、それでも使い続けていただいているので、自分の中でも意を強くしてやらなくてはいけないと思っています。
市丸:それから12年が経ちましたが、いかがでしたか?
坂田:放送局でアナウンサーを経験されてきた方は、みなさん基礎をしっかりされていて上手いんですね。自分はそういう経験がありませんから、アナウンサーとしては決して上手とは言えません。今でもそう思います。ただ、競馬場やディズニーランド、そして会社員時代も含めてさまざまなことを学ばせていただき、お客様にとってどんなことが楽しいのだろうと、自分なりに競馬の楽しさというものを考えてやってきた12年だったと思います。あとは自然体。自分の持っているものでどれだけのことが出来るかという範囲で、無理なく過ごさせてもらっているような気がします。