私の競馬はチョット新しい

-第45回-
ダーレー・ジャパン加治屋正太郎さん


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調教師への道から馬産地へ

市丸:まずは京成杯オータムH(ダーレー・ジャパン スタリオンコンプレックス繋養種牡馬・アドマイヤムーン産駒のレオアクティブが優勝)、おめでとうございます。ちょうど良いタイミングで勝たれました。

加治屋:ありがとうございます。

市丸:本日はそのアドマイヤムーンも含め、こちら(ダーレー・ジャパン スタリオンコンプレックス)に繋養されている種牡馬についてなどお話しをうかがいたいと思うのですが、まずはその前に、加治屋さんの経歴からお聞かせ願えますか。

加治屋:大学は北里大学の獣医学部に通っていました。


市丸:そうしますと、最初は獣医を目指しておられたのですか?

加治屋:いえ、もともとの夢は調教師で、大学を卒業してから、福島のいわきにある競走馬総合研究所で馬乗りとして働いていました。ただ、そのときに大きな怪我をしてしまったのです。馬の下敷きになって骨折をしてしまいまして……。調教師になるためには、厩務員としてまず入らねばならないのですが、その怪我が長引いて年齢制限にひっかかってしまい、調教師の道は諦めなくてはいけなくなってしまったのです。

市丸:そうでしたか。その後はどうされたのでしょう?

加治屋:日本軽種馬協会で05年から3年間、獣医師として種牡馬の業務に携わっていました。

市丸:それから現在のダーレー・ジャパンに移られたのですね。そのいきさつというのは?

加治屋:ダーレーの方からお話しをいただきまして、自分自身もまだ若いですし、いろいろなことを経験してみたいと考え、08年に入社することになりました。

市丸:獣医師としてでしょうか?

加治屋:いえ、臨床に関わることはないですね。軽種馬協会では臨床もやっていましたけれど、こちらに来てからはなくなりました。ただ、それ以外の仕事については大きな変化はありませんでしたので、そういう意味ではやりやすかったです。

市丸:その「それ以外の仕事」についてうかがいますが、加治屋さんはダーレーの「ノミネーションマネージャー」とのことですね。

加治屋:種牡馬に関するすべての業務を担当させていただいております。