-第43回-
競馬エイト記者津田照之さん
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入社直後から坂路で「走る馬」に多く接する
市丸:トレセンに入られて、最初はいかがでしたか?
津田:もう1日、2日くらいで辞めようかと思いました、高校生のころからトラックマンになりたかったというのに。どこの業界でもそうでしょうが、やっぱり「お前誰やねん」というところからになりますし、汚い寮に住まわされて(笑)、怖い先輩もおって、そういう中にいきなり放り込まれて、思っていたのとはかなり違うと思いました。ただ、入って1週間くらいが「辞めたい」と思うピークで、その後はそんなことはありませんね。
市丸:お仕事はどんな感じで始められたのでしょう?
津田:もう通行証をもらえたんだから、後は勝手にやれ、と。馬社の人間は皆そうやってきているんだという話で、それは大変でした。ただ、その通りにやってみたことで、いまだに続いているのかもしれませんね。
市丸:時計を取る方法などは?
津田:時計班ではなかったですし、また坂路中心の厩舎担当で、もう自動計測もはじまっていましたから、余計に取れなくなりました。それで何年も経つと今さら覚えようという話にもならないですし、未だに全然取れないです。1頭押せるか押せないかですね。
市丸:厩舎のコメントを取るのが主な仕事になるんですね。
津田:そうですね。わたしは坂路の厩舎、森厩舎や渡辺、佐山、加藤敬、長浜厩舎などの担当になりました。当時は坂路調教が主流になり始めた時期で、入った直後から走る馬をずいぶんと見せてもらえました。
市丸:たいへん活躍馬も多いですが、具体的に1頭挙げていただくと……。
津田:確か入った年だったと思いますが、フジキセキがデビューしたんです。当時、渡辺厩舎の担当だったのですが「めちゃくちゃ走る馬がいてる」という話で、それで「名前なんていうんですか」と聞くと「フジキセキ」。今でこそ格好良く聞こえますけれど、ぱっと聞いたときは「富士」「奇跡」で、「それ、かなり地味な名前ですね」と言ってしまいました。ただ、今まで乗った馬とはレベルが違うくらいのお話しで、最初にこういう馬と出会えたのは良いタイミングだったと思います。
市丸:最初はたいへんな部分もあったと思いますが、担当厩舎の方と仲良くなれるまでどのくらいかかるものでしょうか?
津田:期間は人それぞれでしょうが、トレセンに「いつも居るやつ」と認知さえしてもらえれば、ですね。また、続けていればどんどん広がりも出て、今まで話せなかった人とも話せるようになっていきます。M.デムーロ、C.デムーロ、C.ルメールなどと親しくさせていただくようになって、より厩舎との関係も広がりました。
市丸:外国語は……。
津田:全然できないですね。むしろ、むこう(外国人騎手)のほうが日本語うまいですから(笑)。通訳の方もいらっしゃいますしね。
市丸:以前から雑誌などで原稿も執筆されていましたが、テレビやラジオに出演されるようになったのは……。
津田:グリーンチャンネルが29歳のときですね。出演する前の年の忘年会に出席させていただいたのですが、まわりの方々が映像に関わることを真剣に語られているのを、まったくわからず横で聞いているような状態でした。そこから、これだけ末永くおつきあいさせていただけるとは思いませんでしたね。
市丸:「先週の結果分析」「KEIBAコンシェルジュ」「中央競馬中継」のパドック解説など、さまざまな番組に出演されていますね。
津田:使い勝手が良かったのでしょうか(笑)。
市丸:弁舌さわやかな印象もありますが……。
津田:話に抑揚がないとも言われますけれど、それが逆に良かった部分もあるのかもしれません。ただ、実際なにが良かったのかはわからないですね。
市丸:今(夏)は北海道に来られています。
津田:最初は1年おきくらいだったのですが、ここ8年ほどは連続で、合せて13〜14回は来ていると思います。
市丸:グリーンチャンネルのパドック解説もありますし、北海道の地上波の中継(UHB・ドラマチック競馬、日曜15時〜)にも出られていますね。今は今井りかさんが進行をされているそうですが……。
津田:その前は須田(鷹雄)さん、あと地元の女子アナの方が担当されることもありましたし……、地元の方はドラマチック競馬につくと、みなさん寿退社されていきます(笑)。
市丸:縁起の良い番組なんですね(笑)。