私の競馬はチョット新しい

-第29回-
フリーライター 平松さとしさん


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力士かプロ野球選手になりたかった

市丸:平松さんとは、わたしが海外へ行くたびにお会いして、お話しもさせていただいていましたが、もともとどんなお仕事をされていたのかなど知らなかったので、今日は本当に楽しみにして来ました。大学は獣医学部に行かれていたそうですが、それ以前から競馬に興味をお持ちだったのですか?

平松:そうですね。父が競馬大好きで、子供のころに父の会社に行ったら、引き出しの中から馬券が「どわーっ」と出てきたのを覚えています。それで、今日持ってきたのですけれど、その父がこの本をくれたんです。

市丸:「中央競馬のすべて」(非売品 日本中央競馬会広報室発行)ですか。見たことありますけれど、広報室でマスコミとかに配っているものですよね。

平松:どうやって入手したんだろう(笑)。昭和48年ころで、最初に耳に入ってきた馬名はハイセイコーでした。すごいブームでしたからね。

市丸:平松さんが小学生のころになりますね。子供にはちょっと難しそうですが、これ、読まれたのですか?

平松:読みましたね。それで知った控除率の出し方とかを、小学校のクラスで話しても、誰も聞いてくれないという(笑)。あと、先生が「競馬(馬券)ってのは25%持って行かれて」なんて言うと「先生、正確には25%じゃなくて……」とか話していたのを覚えています。


市丸:よく競馬を見られるようになったのは中学くらいからですか?

平松:中学で、TTG(テンポイント、トウショウボーイ、グリーングラス)のあたりからは見ていましたね。確か中3のときにクリーングラスが有馬記念を勝って(昭和54年)、それを中学の仲の良い友達に話したりしていました。

市丸:わたしがはじめたのがカツラノハイセイコのダービーで、その年の有馬記念がグリーングラスですから、平松さんは先輩ですね。その後もずっと見続けた感じでしたか?

平松:いえ、グリーングラスの引退でTTGがみんないなくなって、しばらく気合が入りませんでした。大きなレースを見るくらいで。また見るようになったのは、トウショウボーイの子供でミスターシービーが出てきてから(昭和58年三冠馬)でした。

市丸:中学を出られるころに、騎手を目指そうとかいうことは考えられませんでしたか?

平松:それはありませんでした。相撲、好きだったんですよ。今、理事長の放駒親方とか。

市丸:魁傑!

平松:そう、魁傑好きだったんです。それで力士になりたかったのと、あと、プロ野球選手ですね。王、長嶋大好きでしたから、ON世代で。

市丸:野球は中学のころからおやりになっていたんですね?

平松:そうですね。相撲はやってないですけれど(笑)。アメリカでは夏は野球、冬はフットボールとか、2つのスポーツでプロとして活躍する選手もいましたが、そういうのにあこがれてたんです。

市丸:力士とプロ野球選手とかだったらすごいですよね(笑)。

平松:なんてバカなことを思っていて、ジョッキーというのは考えていませんでした。