私の競馬はチョット新しい

-第03回-
ゲーム作家 薗部 博之さん


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馬主としてのスタートは「完全な予算オーバー」から

市丸: まず「馬主として」というところからお話しをうかがいたいのですが、最初はいわゆる「クラブ馬主」から入られたそうですね。どんな馬に出資されていたのですか?

薗部: 最初はマイネル(ラフィアンターフマンクラブ)で、マイネルエラン(中央11戦未勝利)……って知るわけない!(笑)

市丸: なんとなく聞いたことあるような気が……。

薗部: いや、それ私から聞いて知ってたんじゃないですか?(笑) ダビスタが出た頃の話ですね(92年12月デビュー)。

市丸: 最初がマイネルだった理由というのは?

薗部: 友達が先にやっていたので。その後に社台に入りました。その頃のマイネルは、ダイタクヘリオス産駒のマイネルリーダー(テレビ埼玉杯)とか、そういう渋い(血統)のが楽しかったですよね。あと、マイネオリーブ(父サッカーボーイ、新潟3歳S2着)とか、マル父ばっかり買ってましたよ。

市丸: それで社台のほうは?

薗部: こっちはもうサンデーサイレンスとか、自分で1頭買えないから(笑)。2頭目がローゼンカバリー(目黒記念)だったのですが、まだサンデーは2年目で海のものとも山のものともわからないときでしたね。



市丸: その後、馬主登録されて最初はスタープログラマー(葵S)、ベットモアマネー(三条特別)と。最初はいろいろあったかと思いますが……。

薗部: アスキーが主導の「馬主企画」で、もう馬主登録の申請中に買わされてるわけですよ。(審査が)通らなかったらどうするんだ、と(笑)。それで「即戦力」ということでトレーニングセールになりました。ちょうどその頃、大川(慶次郎)先生がダビスタのCMに出て下さっていて、宗像(義忠)先生をご紹介いただきました。

市丸: あの2頭はどちらのセリでしたっけ?

薗部: (ファシグティプトン)コールダーで、高かったんですよね。もう、自分のお金であって自分のではないような。2頭で50万ドルくらいの予算だったんですが、スタープログラマー1頭でそのくらいでしたから。

市丸: それは競っていて熱くなってしまった、とかですか?

薗部: いえ、自分では競ってないんですよ。「日本人だとバレるとどうの」とかって話で、見えないところで(代理の方が)競ってたんです。それでどんどん値が上がって、もう降りてるだろう、誰が競ってるんだろう、と思ってたら「落としちゃいました」と(笑)。最初にベットモアマネーを15万ドルくらいで買っていたので、完全に予算オーバーですよね。